オタクのおっさんの戯言
残念だが。
2014年03月16日 (日) | 編集 |
先日、このブログでも取り上げたSTAP細胞の話だが、残念ながら疑わしい線が濃厚なようで(--;

これだけ批判を浴びながら、反論素材が理研から出ていないのが一番痛いやね。

先日のブログで、(これが本当なら)いろんなものを覆す発見というようなことを書いた。

それは、一度分化した細胞は胚のような未分化の上体には通常戻らないからだ。つまり、細胞の分化は一方通行だということ。

だから、生物学的あるいは思想/哲学的に、

生の中には死が内包されている

と言われる。

すなわち、(生き物は)生まれたときから死に向かっている、ということだ。

もちろん、これの細胞分化の不可逆性は生き物にとって極めて重要なことである。むしろ、不可逆でないと困る。
例えば、けがをして皮膚を擦りむいたとき、皮膚細胞はあくまで皮膚細胞だから、けがをしたところには皮膚が再生される。これが、未分化の細胞で、方向が決まっていないのならば、皮膚に別の器官が再生されてしまうことになる。

つまり、再生を考えた場合には、不可逆であることこそが極めて重要となる。


しかし、今回の論文はそれを覆す内容だった。

分化した細胞が、比較的簡単な手法で未分化の状態に戻る。
すなわち、極論を言えば、生き物はある種のストレスを与えることで、胚のような初期状態に戻れる。そこから再生できる、そういう意味合いをもつ論文だった。

だから、これが本当のことであれば、ある種の観念論的には、生き物の生はひたすら死へと向かうものではなく、何らかの要因によって、また一からスタートできる。そういう意味合いを含んでいた。個人的にはそう考えていた。

世間情勢に関してはブログにほとんど取り上げない私が、わざわざこの話題を取り上げたのは、実はそこに主眼があった。それゆえ、期待も大きかった。

それが、今の有様では・・・ねぇ(==

生と死は隣り合わせ。

それを覆すことはやはりできないのか。それとも、「発達した科学は魔法」となるのか。
希望としては持っておきたいやね。


追:

生の中には死が内包されている

ゆえに

死には生が内包される

と言われる。
死に生が内包されるとはどういうことか。興味ある方は少し考えてみるといいかもしれない。


追:
今回の件で「リケジョってやっぱり痛い子」とならないようにはしてもらいたいやね。
女性でも優秀な研究者はいっぱいいると思うし。

ただ、研究者の質の低下が叫ばれて久しいが、これはさすがにだなぁ。。。

スポンサーサイト
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック